Schumann のピアノ曲の魅力(前編)- - - 良くある誤解(?) (98/4/14 記)
 

Robert Schumann を徹底的にきらう人がいるのはご存じでしょう。 嫌いなら嫌いでいいんです。 誰にだって好き嫌いはありますから。 ただ、嫌いな理由をいろいろ挙げた挙げ句、無理解に基づく議論を展開している人をみると、可哀想になります。 それは、「私はピアノのことはわかってません」と自己宣伝しているようなものだから。

もちろん、あなたじゃありません。 先に警告文を書いておいたのに、これを読んでいるんだから。 あなたは、Schumann の良さをわかってるから、ここを読んでいるんでしょう。 ご心配なく。 それなのに、なぜ、わざわざ、そんな不愉快なことを書くかって? それは、無理解な批判の裏返しが、そのまま Schumann の魅力を語ることになるからです。 ほら、「人のふり見て我がふり直せ。」って、いうじゃないですか(^^)


いろいろなケースがあるようですけれど、たいがいこんな場合が多いみたいですね。

  1. 弾きにくいくせに響きが貧弱。 ピアノの響きに対して鈍感。
  2. 教科書通りの和声を臆面もなく使う。
  3. リズムが単調。 技巧も単調。
きゃ〜! 怒らないでください。 ごめんなさい。 私が書いたんじゃないんです。 ネット上をさまよい歩けば、どこかで、こんな文章にぶつかるでしょうから。 他にもいっぱいありますよ。 例えば、「中学生が書いたポエム集みたい」とか・・・
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閑話休題。 ここからが本題です。
先に上げた文を反面教師にしながら、Schumann のピアノ曲の魅力について考えてみましょう。

弾きにくいけれども、響きは美しい。 ピアノの響きに対して繊細でないと、理解できないかもしれない。
たくさんの美しいピアノ曲を作った作曲家である、Chopin や Liszt と Schumann とを比較すると、Schumann の音の響かせ方の特徴がよくわかると思います。 ここでは、非常に都合のよい例があるので、譜面と MIDI ファイルを使って説明しましょう。

Schumann Myrten -- Widmung op. 25-1 (3 K)

 

Schumann
Liszt: Liebeslied (3 K)

 

Liszt
Schumann Myrten -- Widmung op. 25-1, Liszt: Liebeslied

譜面 Ex. 1 をご覧ください。 上段は、Schumann の歌曲 Myrten から、Widmung の最初の一小節(ピアノ伴奏のみ、歌は始まっていない)です。 一方、下段は、先の曲をピアノ独奏用に Liszt が編曲した Liebeslied です。 青線で囲まれ、灰色で表現されている音符や記号は、MIDI での比較を同じ条件にするために、私 n'Guin が書き足したものなので、原盤にはありません。 もとが同じですから、Schumann と Liszt との比較をするには、都合がよいと思います。 違いはどこでしょうか。 私が着目しているのは、ペダリングです。

ピアノには、2〜3本のペダルがありますが、右のペダルを踏むと、打鍵した音が、手を放しても出続けます。 赤丸で囲んだ記号は、右ペダルを踏む(手をはなしても音が出続ける)記号です。 一方、緑丸で囲んだ記号は右ペダルをはなす(よって、打鍵している最中の音以外は、音が切れる)記号です。 上段の Schumann の方は、一小節の間でいったんペダルをはなして、再度踏ませる指定になっていますが、下段の Liszt の方は、一小節踏みっぱなしです。 どう違うかは、楽譜の脇の MIDI ファイルを演奏させて聴いてみてください。 MIDI ファイルの方は、わかりやすいように二小節分になっています。 また、音の条件を同じにするために、灰色で示された部分も演奏されています。 従って、両者の差は、純粋にペダリングだけです。

ノートパソコンについているような小さなスピーカーだと、わかりにくいかもしれませんが、下段の Liszt の方が、豪快に聞こえます。 上段の Schumann の方の魅力は何でしょうか? 音がクリアで濁らないことと、音の流れがスムーズなことです。 Liszt の方は、ずっとペダルを踏みっぱなしなので、打鍵された音がすべて残ります。 従って、音が濁ります。 ペダルを踏みっぱなしで同じ音を何度も打鍵し続けると、うなり音のような濁りが出てきます。 これは、位相が違う同周波数の音が混じるためです。(高校あたりの物理の問題ですね。) さらに悪いことに、左手の最終音の G#(ソのシャープ)の直前でペダルを切ってしまうため、それまでは、ペダルでずっとつなげられていた音が一瞬のうちにとぎれて、ペダルなしの音になってしまうため、ピアノの音の響き方が一瞬、変わってしまうことです。 そのため、大げさに言うと、全体の曲の流れが一瞬、止まってしまうように感じます。 (念のために書いておきますが、この Liszt の解釈が悪いといっているのではありません。 より、豪快に聞こえさせることが、彼の持ち味なのです。 Schumann との違いを際だたせたいだけです。)

上段の Schumann の方は、下段 Liszt 流の欠点はありません。 音の響きはクリアで、その進行もなめらかです。 そのかわり、豪快さに欠ける感触は否定できないかもしれません。 実は、ここが、ポイントなのです。 Schumann の音の響かせ方は、Chopin や Liszt などの他の音楽家と大きく違うのです。 ピアノの音そのものの美しさをいかに聴かせるか? というのが、Schumann の最初の出発点だと考えていただくとわかりやすいでしょう。 ピアノの音のそのものの良さ - - - 単音の音の持つ美しさ - - - を際だたせた上で、和音を構成していく。 ここを理解できないと、「Schumann は、音の響かせ方が悪い。ピアノの響かせ方に対して鈍感だ。」という意見が出てくるだと思います。(影の声: 楽譜の読みが足りないんですね。) 例えば、「ピアノの音は、音域によって響きが異なる。 従って、Schumann は、同じフレーズを音域を変えて提示する場合には、その音域にふさわしく音の組み合わせを模索すべきであった。」なんて意見も同じ誤解でしょう。 同じフレーズが音域を変えて提示されているのなら、異なる響きの美しさを、聴衆に与えられるように、演奏すべきなのです。 作曲家によって、持ち味が違うのは当たり前ですから、それを生かせるように演奏すべきだと、私は考えます。 ちゃんとヒントは楽譜に書いてあるのですから。 そういった演奏家の違いをきちんと表現できるのが、演奏家の最低限の条件だと思います。 (もちろん、この意見を他人に押しつける気は毛頭ありません。 あくまで、私の基準です。) 厳しいことを言うようですが、こういう観点で、世に出ている CD/LP 録音を吟味すると、著名なピアニストの演奏でも、はっきりX印の演奏がけっこう出てくるものです。 長くなったので、今回はこのへんで・・・。

(to be continued...)

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