あこがれの Zwickau へ (後編) (98/8/6 記)
 

1998 年 4 月末の良く晴れた日。 私は、Dresden から Zwickau へ向かっていた。 Dresden から Zwickau への列車は、席の予約が取れなかったので、座れるかどうか心配していたのだが、その心配は杞憂だった。 予約が取れないというより、取る必要がないということらしい。 ドイツの鉄道は、2等車でも、中にはコンパートメントがあって、すいているときなら、家族4人で一部屋を独占できる。 この時も容易に空いているコンパートメントを探すことができた。 車掌のドイツ語も、Dsseldorf とは異なり、語感が柔らかい感じがする。 観光都市の Dresden から、急行列車で 15 分も離れると、田園風景が車窓に広がる。 おりしも季節は春。 菜の花が、地平線まで一面に広がる。 空も、心ごとすいこまれるような深い青さをたたえている。 見知らぬ地への期待と、ちょっぴりの不安の中、Zwickau におりたつ。

Zwickau は、人口 10 万人ほどの都市で、地理的には Sachssen 地方の中心にある。 駅前から市電も出ていたが、まずは、歩いてみることにした。 旅行会社からもらったパンフレットでは、駅からホテルまでは、500 m ほどで、駅から繁華街(Hauptmarkt)への道沿いにある。 ところが、実際には、その半分もないほどだった。 まだ時間が早いので、最初に Hauptmarkt の Robert Schumannhaus を訪れることにした。 Hauptmarkt 付近は、道が放射状になっていて、若干入り組んでいる。 私たち家族は、途中で迷ってしまった。 地図を取りだし、場所の確認をしていたら、歩いてきたおばさんが、「どうしたんだい。 どこに行きたいんだい?」 と声をかけてくれた。 Hauptmarkt に行きたいことを告げると、外国人の私にも良くわかるように、ゆっくりと大きな身振り付きで、説明してくれた。 お礼をいって別れて、言われた通りに行くと、わずか数分で Hauptmarkt に着いた。 Robert がローティーンのころ、オルガニストをしていた Marienkirche が見えてきた。 おなかがすいたので、Marienkirche のわきで、Bratenwrst(ソーセージ)を買って、立ち食い。 ドイツでは、定番の軽食だ。 (実は、日本に帰ってきてから、これを食べたくてたまらないのだが・・・) 食べていたら、子供が「あそこにも Robert Schumann と書いてあるよ!」と指をさした。 Robert Schumann Musium とある。 入って尋ねたところ、ここは、これから作られる美術館らしい。 Robert Schumann は名前をもらっただけで、関係がないとのこと。

さて、Marienkirche は、ちょうど、お祈りの最中で見学できなかったので、先に、Robert Schumannhaus へ向かう。 どのぐらい展示物があるのかなぁ? 中に入ると、50 才ぐらいのおばさんが、店番をしている。 家族分の入場券を買ったところ、全ての荷物を預かってくれた。 私たち家族以外、見学者はいないが、想像以上に広い部屋に驚く。 1階にはちょっとした小ホールがある。 2階が展示室になっている。 外見はそっけないが、中はけっこうしゃれた建物だ。 さて2階へ。 階段の踊り場には、歴代の Robert Schumann コンクールや Zwickau Robert Schumann 賞の受賞者の名前が掲示されている。 Sawallish や Demus の名前に混じって、Mitsuko Shirai など日本人の名前が目立つ。 聞いたことがない人の名前のほうが多いぐらい。

Schumann 関係の資料展示は、私の想像をはるかに超える量だった。 Robert や Clara の父母の肖像画。 Robert の時代の Zwickau の様子を示す風景画などなど・・・。 子供の声がうるさかったのか、家族連れが珍しかったのか、学芸員の方が出てきて、話しかけてくれた。 20 才台後半ぐらいの、ドイツ人としては小柄でブルネットの美人。 Zwickau Robert Schumann コンクールは、日本人は非常に多い参加者がいて、しかもけっこう質が粒ぞろいだという。 さっそく Piano Concerto の CD をかけてくれた。 一聴して、聴いたことがない演奏だとわかり、誰の演奏なのかと問うと、Mikhail Mordvinov ピアノ、 Welisar Gentscheff 指揮 Philharmonisches Orchester Zwickau の演奏で、この Robert Schumannhaus 特製の CD だという。 下の売店でのみ売っているとのこと。 購入してきたのは言うまでもない。 「ピアノ協奏曲で、こんな良い演奏は、聴いたことがない。」 と伝えたところ、彼女にとってもお気に入りの演奏だという。

隣の部屋には、年代ものの Bsendorfer があった。 Robert が生きていた時代に Bsendolfer は生まれたばかりのはず。 彼女によれば、おそらく、Robert は Bsendolfer を弾くことはなかっただろうと。 ここにあるのは、Clara が使っていたものだという。 彼女いわく 「おまえはピアノが弾けるのか?」 「少しは・・・」と答えたら、「弾いていいよ! 」 と願ってもない言葉が・・・。 現在の私でも弾ける Schumann の曲は、ほとんどないので、子供の情景の第1曲を弾いた。 年代ものの Bsendolfer は、調律も不充分なようだったが、出てくる音は、確かに Bsendorfer らしい、ゆったりとした低音とやわらかで優しい高音をたたえていた。 Schumannhaus でこんな体験ができるとは、夢にも思わなかった。 望外の喜び。

Robert や Clara が愛用した身の回り品などの展示もあったが、圧巻は、やはり Clara が愛用したピアノの部屋。 6才の子供に説明してくれたのは、「ドイツ 100 DM 紙幣の怪」。 ドイツの 100 DM 紙幣には、Clara が描かれているが、裏にはピアノが描かれている。 このピアノには、なぜか4本のペダルがある。 ところが、そのモデルになった、Clara のピアノのペダルは3本・・・。 どうして、こんなことになったのかは、誰にもわからないとのこと。

お礼を言って彼女に別れを告げ、下の受付で、先の CD を買い、購入できるパンフレットの類全てを購入。 売店のおばさんは、現在のパンフレットを印刷する前のパンフレットを出してきて、現在のパンフレットには載っていない写真もあるから、こっちもあげるねとおまけにつけてくれた。 Dsseldorf からの旅行だが、もうすぐ日本に帰るから、最初で最後の訪問になるだろうと話して、Schumannhaus を離れた。 ホテルにチェックインして、再度、Marienkirche に向かう。 厳かな雰囲気のなかで、見学しているのも私たちの家族だけ。 ステンドグラスなどをみていたら、老婦人が祈りをささげ始める。 異教徒の私たちがすごすべきところではないように感じて、邪魔をしないように、おいとまする。 ちょうど改修の募金をしていたので、いくばくかの献金をしてきた。 Hauptmarkt には、Robert の銅像がある。 例によって、記念撮影をして、いくつかお土産を買って、ホテルに帰ってきた。 説明書きによれば、第一次大戦前からある由緒正しいホテルらしい。

翌日、出発の時間まで2時間ほどあったので、再度、Schumannhaus へ。 受付のおばさんは、私たちを覚えていて、入館料金を受け取らなかった。 いい思い出を作って、また Zwickau に来て欲しい。 この入館料金はそのときに受け取りたいと・・・。

写真は、画像館でご覧ください。

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