Liederkreis, Op. 24 (前編) (98/6/20 改訂)
 

Robert は、1839 年夏の手紙で、こう語っています。 「人間の声のための音楽は、常に器楽曲より下位にあり、偉大な芸術だとは思っていません。 でも、これはだれにも言わないでください。」 また、die Neue Zeitschrift fr Musik では、「我々は、ちょうど、画家が風景だけを描いている風景画家を認めないのと同じように、歌曲作曲家に正当な市民権を認めていないのです。」と控えめに述べています。 それにもかかわらず、1840 年には、100 曲以上の歌曲が作曲されています。 クララへの手紙では「ああ、クララ。 歌を作曲するということはなんと喜ばしいことでしょう。 私は、この喜びを、これまで長い間、なしですませてきたのです・・・」と述べています。 この Liederkreis Op. 24 は、歌曲の年(1840 年)の幕開けを飾る作品で、Robert がピアノ曲から歌曲への転換をはかった最初期の作品です。 それにもかかわらず、Robert らしさが、端々に、認められるようです。

R. Schumann の作品を作品番号順で考えた場合に、ピアノ曲以外の最初の曲が、この Liederkreis Op. 24 です。 Liederkreis, Op. 24 は、ハイネの『歌の本 Buch der Lieder』の詩による9曲からなっています。 私には、このハイネの詩を解説できるだけの独文学の知識も教養もないので、各曲の要約を簡単に示しました。 (誰か、詩自体を解説してください〜〜〜。) あとは、楽譜を見ながら気がついたことを書きつらねていこうかと思います。

  1. Morgens steh ich auf(毎朝、私が起きると)
    毎朝、愛しいあの娘に今日こそは会えるだろうかと、期待しているが、夜になれば会えなかったことを嘆く。 毎日、夢うつつの日々をすごしている。

  2. Es treibt mich hin(私はいらだって)
    もう少しすれば、美人中の美人のあの娘に会える。 時間の歩みが遅いのは、時の神が恋の喜びを知らないからではないだろうか。

  3. Ich Wandelte unter den Bumen(木陰を歩んでいると)
    木陰をさまよい歩くと、昔の夢がよみがえってくる。 小鳥達よ、私に悲しみを思い出させないでくれ。 私は、誰にも、もう、心を打ち明けたくないのだ。

  4. Lieb Liebchen, leg's Hndchen(いとしい恋人、あなたの手を)
    私の胸の中では、大工が日夜働いて、私の死の棺を作っているのだ。 昼も夜も槌をたたく音がひびき、私は長いこと眠らせてもらえないのだ。 大工の親方よ、早く仕事をしてしまっておくれ。 そうすれば、私も眠ることができよう。

  5. Schne Wiege meiner Leiden(私の悲しみの美しいゆりかご)
    私の悲しみの美しいゆりかごよ、憩の墓場よ、憩の町よ。 もうお別れだ。 彼女に初めて逢った聖なる地よ。 さようなら。 おまえに会わなかったら、今ほどの不幸には出会わなかっただろう。 別におまえの愛を望みはしなかった。 だが、おまえの口からのむごい言葉に、私の心はかき乱され、傷ついてしまった。 さようなら。 さようなら。

  6. Warte, warte, wieder Schiffmann(待て、荒々しい船乗りよ)
    恋人から別れて、熱い血潮が、私から流れ出ている。 アダムとイブの逸話にもあるように、悪いリンゴが不幸をもたらした。 

  7. Berg's und Burgen Schau'n herunter(山と城がみおろしている)
    山や城がライン河に写って見える。 河の輝かしい流れは、私の心を誘う。 うわべは輝いている流れだが、その奥底には悪意と嵐がある。 (乙女心も、同じように表裏があるのを)私は知っているよ。

  8. Anfangs wollt ich fast verzagen(始めから望みもなく)
    始めは、耐えられないと思い、そう信じたが我慢してきた。 ただ、どのようにしてとは問うこともなかった。

  9. Mit Myrten und Rosen(ミルテとばらをもって)
    ミルテ(花嫁、恋愛、純潔を象徴する花)とばらの花で、昔、おまえ(想い人)にささげた歌を、葬ってしまいたい。 かつて、深い感激から出た歌も、現在では死人と同様だ。 しかし、ひとたび愛の霊が漂えば、古き血潮もよみがえるだろう。

上に少しずつ書き添えた要約から、おわかりいただけるように、Liederkreis, Op. 24 の内容は、一貫した物語性をもっていないようです。 失恋・悲恋経験を表現した初期のハイネの詩という以外の共通点はありません。 ハイネの場合には、いとこのアマーリエへの不幸な恋愛体験(片思い)が、これらの詩作への根源をなしています。 それゆえ、自虐と怨恨に満ちた苦いアイロニーが詩作に漂っています。 しかしながら、この作品を書いたころの Robert の場合は、歌曲はすべて Clara への捧げものであって、Clara への愛に燃え立っており、ハイネの詩作のアイロニーの部分は、無視されているようです。 この態度を、Robert がハイネを理解していなかったと批判するむきもあるようですが、私は、Robert にとって、ハイネの詩作は、Robert の歌曲作成への原材料にすぎなかったのだと思っています。 すなわち、ハイネのアイロニーは、反語や逆説としてのみ受け取られ、アイロニーのもつ陰惨さは青春の多感な悩ましさにおきかえられてています。 それによって、愛の喜びの中で、愛の悲しみを歌い上げることが可能になっているのでしょう。(書いていながら、ちょっと恥ずかしい。^^)

1. Morgens steh ich auf (毎朝、私が起きると)

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Morgens steh' ich auf und frage:
Kommt feins Lieben heut?
Abends sink' ich hin und klage:
Ausblieb sie auch heit.
毎朝、私は起きると、今日は愛しいあの子が来るだろうかと思う
夜になると、がっかりしてつぶやく・・・ 今日も愛しいあの子は来なかった
In der Nacht mit meinem Kummmer
Lieg' ich scchlaflos, lieg' ich wach;
Trumend, wie im halben Schulummer,
Wandle ich bei Tag
夜は、悲しくて、私は眠れない。
昼も、夢うつつで、私はさすらっている。

最初の曲では、愛しいあの娘に今日は会えるだろうか?という、片思いの君の独白から始まります。 そして、この曲は、ため息のように消えていくピアノ伴奏で終わります。 譜例1には、このピアノ伴奏の終結部を示しました。 この三連符の前打音とアルペジオの組み合わせをみてください。 終結部の響きに、私は Robert らしさを強く感じます。 それにしても、この部分をどう弾いたら正解なのでしょうか? 演奏者によって、前打音を弾くタイミングが違っているようです。 Robert は、Clara に「この曲を作曲しているあいだ、あなたのことばかり考えていました。 あなたという婚約者がいなかったらこのような音楽はかけなかったでしょう。」と書き送っています。 さもなん。

  譜例1
Liederkreis Op. 24 (7K)

2. Es treibt mich hin (私はいらだって)
Es treibt mich hin, es treibt mich her!
Noch wenige Stunden, dann soll ich sie schauen,
Sie selber, die schnste der schnen Jungfrauen;
Du armes Herz, was pochst du schwer!
私はいらいら、そわそわしている。 もうちょっとすれば、あの子に会えるんだ。
あのこは、美人中の美人の若い子なんだ。 私の心臓は、ドキドキしっぱなしで、痛いぐらいだ。
Die Stunden sind aber ein faules Volk!
Schleppen sich behaglich trge,
Schleichen ghnend ihre Wege;
Tummel dich, du faules Volk!
時の歩みは遅く、
足どりものどかに、
あくびをしながらゆっくりと歩む。
急げ、この怠け者。
Tobende Eile mich treibend erfar!
Aber wohl niemals liebten die Horen;
Heimlich im grausamen Bunde verschworen
Spotten sie tckisch der Liebenden Hast
狂ってしまいそうになるほどの、この気持ち!
時の女神たちは、恋をしたことがないから、 手を取り合って、恋する人々のいらだちを、はぐらかして、あざわらっている。

この曲のリズムや旋律の不安定さは、どうでしょう? 上記の原詩の3行目の Jungfrauen のところは、5連符+リタルダントという不安定さで、しかも声と伴奏が同じメロディをもっています。 ちょっと間合いが合わないと、がたがたになってしまいます。 そのような不安定さが、この詩の雰囲気に良く合っているように思えてなりません。

3. Ich Wandelte unter den Bumen (木陰を歩んでいると)
Ich wandelte unter den Bumen
Mit meinem Gram allein
Da Kam das alte Tumen,
Und schlich mir ins Herz hinein.
僕はひとり、傷心をいだいて、木々のもとをさまよう。
すると、昔の夢を思い出して、僕の心にしのびこんでいった。
Wer hat euch dies Wrtlein gelehret,
Ihr Vglein in luftiger Hh?
Schweigt still! wenn mein Herz es horet,
dann tut es noch einmal so weh.
空を舞う小鳥達よ。 おまえたちは誰からそんな唄い方を教えられたのか。 唄うのを止めてくれ。 また僕の心が痛み出すじゃないか。
Es kam ein Jungfrulein gegangen,
Die sang es immerfort,
Da haben wir Vglein gefangen
Das hubsche, goldne Wort.
昔、若き乙女がやってきては、いつも、こんな風に唄っていたのです。 私たち小鳥も、心をとろかすような黄金色の言葉を、いつのまにかおぼえてしまったのです。
Das sollt ihr mir nicht mehr erzahlen,
Ihr Vglein wunderschlau;
Ihr wollt meinem Kummer mir stehlen,
Ich aber niemandem trau'
小鳥達よ。 その手にはのらないぞ。 僕の恋の悩みを盗み知ろうとしても、僕は、絶対に打ち明けたりしないのだ。

この曲は、Liederkreis 全体にとっての緩徐楽章に相当するところだと思われます。 詩の三段目は、小鳥が歌っている部分です。 デリケートなさえずりが、曲の内容を大きく変えるところで、私は、いつも聞き耳を立てて、味わっています。

4. Lieb Liebchen, leg's Hndchen(いとしい恋人、あなたの手を)
Lieb' Liebchen, leg's Handchen aufs Herze mein; -
Ach, hrst du, wie's pochet im Kmmerlein?
Da hauset ein Zimmermann schlimm und arg,
Der simmert mir einen Totensarg.
いとしい人よ。 僕の胸に手を当ててごらん。 (私の胸の中の)小部屋では、トントンと音を立てているのが聞こえるだろう。
そこには、意地悪でいやらしい大工が住んでいて、私の棺を作っているんだ。
Es hammert und klopfet bei Tag und bei Nacht;
Es hat mich schon lngst um den Schlaf gebracht
Ach! sputet euch, Meister Zimmermann,
Damit ich balde schlafen kann.!
夜も昼もなく、槌を打ち鳴らしていて、僕は、もう、長いこと眠っていないのだ。
早く終わってくれ。 大工の親方よ! そうすれば、僕も(死の)眠りにつけるんだ。
多くの人々が指摘しているように、Robert の歌曲では、ピアノ伴奏の果たす役割が非常に大きいとされています。 ピアノは単なる伴奏ではなく、積極的に歌い上げなければ、曲が成立しないようです。 譜例2では、歌声だけが取り残されて、ピアノが先に曲を歌い上げてしまう例(第4曲の最後)を示しました。 「私は早く眠りにつきたい(死んでしまいたい)」と唄いあげながらも、本来の希望はその逆という部分です。 歌声だけが取り残された終わり方が、余韻をより大きくしているように思います。

  譜例2
Liederkreis Op. 24 (7K)

(to be continued...)

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原詩の日本語訳は、私 n'Guin が気のおもむくままに、訳したものなので、誤りがたくさんあることだろうと思います。 誤りを見つけたら、あははははっ! と笑って、私に教えてくださいな。